ドイツのユニークな“まちづくり”
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国の首都が移動する、 そんな世紀の大事業も、 昨今ドイツの国をゆるがす大イベントの連続のなかでは、 そんなに大きなニュースではない。 戦後50年続いた東西ドイツの分裂がとけてドイツが1つになったのは10年前、 そして今年、 16年続いた保守政権が革新政権に変わり、 さらにユーロの導入でドイツマルクが理論上消えてなくなった。 ドイツ国民は近年にはいって政治、 経済の大嵐を体験した。 そんな中で遷都はどのようにすすめられているか。
1991年6月20日、 ドイツ国会で「4年以内に議会と行政官庁が現在のボンからベルリンに移転する」ことを決議する。 この4年が8年になり、 とにかく「1999年末までにすべて完了する」ということである。
ベルリンという都市
一国の政府が移転する先が、 すでに出来あがっている都市、 それも大都市に、 ということはまず不可能である。 それが可能なベルリンには次の特徴がある。
1. 東西統一で2つの国が1つになった。 2つあった政府が1つになり、 ベルリンで東独の首都としてそれまで使われていたもう1つの政府の建物がすっかり空いている。
2. 東西2つに分離されていたドイツの国境はベルリンの都心の真ん中を通っていた。 国境にはベルリンの壁で、 東独側壁の足元は逃亡をふせぐための「死の帯」とよばれた幅広い空地がつくられていた。 また壁に近い国境近くは、 両国とも都市の整備がおくれ、 荒れたままになっていた。 これらの放置されていた敷地が東西統一と同時に都心の一等地として使えることとなる。
このベルリン遷都、 じつは議員や官吏の間ではあまり歓迎されなかった。 91年の遷都提案の決議では、 賛成がわずかの差であった。 背景にはボンに家を買って居を構えた官吏たちの大反対がある。 新しいガラス張りの連邦議会場がボン(ベルリンではない)に出来たのは、 信じられないことであるが、 遷都がきまったあと、 つい最近のことである。
ベルリンはいつも建設で話題をふりまく都市である。 ベルリン国際建設展覧会(IBAベルリン)が戦後だけでも2度おこなわれ、 そして東西統一後は2つの都市の大改造が急ピッチでおこなわれ、 それに首都問題が加わった。 ここでのドイツ遷都情報は項目を限定し、 議会政府機関、 外交官官邸、 交通にしぼり、 これに新しい話題「ポツダム広場」の情報を加えておきたい。
国会と政府の移動
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1. ベルリン遷都概略図
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現在ボンにある国会と14省庁は、 ベルリンの都心(正式には旧東ベルリンの都心)に移り、 政府の全機能が半径2キロメートルの中におさまることになっている(図1)。
今回の遷都では、 すべての省庁が移転するわけではなく、 防衛庁庁、 農林省など6省庁はボンに残る、 しかし支部はベルリンにつくられる。 ベルリンに引き越す政府の全機能の必要面積は72.5万平米、 ほとんどは既存の旧政府施設に入り、 新築は主相官邸ただ1つである。
これはインターネットであるから、 現在のみ価値のある情報、 遷都現況を少し報告したい。
連邦大統領ヘアツォークはすでに1994年8月に引き越し、 ベルリンで仕事をはじめているが、 4058人の議員と官吏がボンをたたんでベルリンに移るのは今年の6月5日から31日に予定され、 その後、 夏休みがあけた9月6日をもって、 ドイツの議会が正式にベルリンで行なわれることになる。
しかし移転準備工事は大幅に遅れ、 移動予定の14省庁のうち8つの主要部分だけがとりあえず引っ越す。 というのは、 内務と通産の2省の他は、 この夏まだ建物が完成していないからである(現場はたいへんでしょうね)。
ボンの人のための住宅も年末までに2,500戸がやっと。 (国会と省庁役人だけでほぼ6,000人が移動、 また遷都によって引越しとか転職を余儀なくされる該当者数は約35,000人という)。
しばらくはボンとベルリン間の、 飛行機による週単位の通勤ピストン運動があるであろう。 役人は今後2年間、 週末などボンへの帰郷航空運賃が無料という取り決めがある。
話題の建築、 建設工事
(1)シュプレーボーゲン
このたびの遷都からみの建設話題は、 やはり首相官邸建設を含めたシュプレーボーゲンの政府ブロック(議員官舎とか報道など政府付属機関)の建設である。
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2. シュプレーボーゲン
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3. 遷都にあたって唯一新築される首相官邸
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ベルリン移転にあたって主相官邸、 参議院議会場、 連邦議会場をどうするか、 が大きな問題であった。 これについて都心公園ティアガルテンを主要部分とした地域を舞台に(ここはシュプレー川のカーブに位置するところから「シュプレーボーゲン」と呼ばれている)、 上記の問題について1993年、 都市計画の国際設計コンペが行なわれた。 835作品の中で1等になったのは、 かつてシュプレー川が東西ドイツの国境になっていた状況を、 逆に結びつける要素に使ったベルリンの建築家シュルテス/フランクである(図2)。 また、 主相官邸の設計もこの建築家である(4月現在、 外壁のみが完成、 図3)。
(2)連邦議会場
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4. 早くも仮国会が開かれている連邦議会場
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シュプレーボーゲン地域内には戦前のドイツ帝国議会がある。 この建物は1933年に火災にあって以来、 公用には使われずそのまま現在まで取り残されていた。 今回、 これが連邦議会場として使われることになり、 文化財として残されるのは外壁だけで、 内部はすべて取りはずし、 新しいガラスの丸天井がつけられすっかり改造される(建築設計はN.フォースター、 4月19日初国会が行われた、 正式には9月から、 図4)。
(3)参議院議会堂
参議院議会堂はシュルテスの都市計画案の中では新築が予定されているが、 今回は、 そこで提案されているフォーラムと同じく無期延期となり、 ポツダム広場の近く、 かつてのプロイセンの参議院議会場を改造して入ることになっている。
(4)外交官ブロック
ベルリンの都市公園ティアガルテンの一部に外交官ブロックがある、 いや、 あったというべきである。 1938年当時、 この地区には大使館37と総領事館28が集まっていた。 多くは戦後その敷地を売りひきはらってしまったが、 その後もイタリヤ、 ギリシャが隣り合わせて並び、 わが国の大使館もここにある。 場所と環境のいいことから、 将来も重要な外交官ブロックになるであろう(154カ国の大半がここに来る)。 しかし、 ここが壁の外になった東独時代、 ブランデンブルク門の近くに新しく外交官官邸があつまったことから、 ティアガルテンの外交官ブロックは往事のような集積にはならないであろう(新しいアメリカ、 フランス、 イギリスの大使館はブランデンブルク門のすぐ前である)。
(5)交通
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5. ベルリンの都市公園ティアガルテン、 この下を鉄道と道路が通る。
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交通部門でベルリンには空港という大きな問題があるが(空港は99年4月シェーネベルクに決定)、 ここでは鉄道を見たい。 鉄道についてベルリンの特殊な問題は、 1つは壁で、 それまでの地下鉄をふくめたすべての路線が壁でずたずたに切られてしまっていたこと。 もう1つは、 ヨーロッパ大都市特有の問題で、 鉄道が都心まできてそこが終着駅の形をとっている(機関車は逆戻りして駅を出る)。 そのためベルリンでは南北に鉄道がつながっていない。 これを通すため、 先ほどの政府ブロックの建設と、 その南に位置するポツダム広場の工事にトンネル工事を組み入れて、 約3.5キロを地下で結ぶ計画である。 ところが、 この上が市民の緑のオアシス、 都市公園であることから、 トンネル工事は地下水の水位を変え植物が枯れる、 と市民からの大反対があった(図5)。
(6)レアター駅
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6. レアター駅完成予定図:手前の黄色。 真中の赤い帯がシュプレーボーゲン、 向こうの青いろがポツダム広場
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トンネルを北に、 政府ブロックから歩いて15分ほどの位置にレアター駅がある。 国境近くでこれまで荒れるにまかせて放置されていた地域で、 今回路線の延長でここが東西と南北の広域鉄道の交差点になる。 そのため今、 新しい大きな駅がつくられ(フォン・ゲアカン設計)、 さらに駅前一帯の建設が行なわれている(ウンガース設計)。 ここは将来ベルリンの重要なターミナルの1つになるであろう(図6)。
(7)ポツダム広場
距離でほぼ1キロ、 歩いて15分の間隔で、 かたやドイツ政府が建設を行ない、 もう一方ではドイツの資本、 ベンツ、 そしてソニーが建設を行なっている。 政府の作る町と資本の作る町の対比はおもしろい。
ポツダム広場は、 製図盤上で生まれ都心に新しくつくられる実験の場である。 都市における新しい/広場/さかり場/アーバニズムとはどのようなものか、 世界から注目をあびている。
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7. ポツダム広場完成模型図
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ポツダム広場は、 ブランデンブルク門にも、 ご存知ウンター・デン・リンデンにも近く一時期、 ヨーロッパ一番の交通量のおおい広場、 といわれるほどの繁栄であった。 ベルリンの壁がちょうどこの地区を通っていて、 壁が取り外された時点で、 すでに都心の一等地である。 そしてここは早くから目をつけていたベンツ社の所有になっていた(Debisはベンツの姉妹会社である)。 後ほど土地の売買決算があったとき「支払われた地価が安すぎる」とブルッセルのヨーロッパ委員から物言いがあった。 (こういったことに目を光らせている機関があるのですね)。
ポツダム広場の全体計画は、 あの関西空港を手がけた設計士ピアノである。 ポツダム広場の建設は大きく分けて3社でつくられ、 そのうちベンツとソニーの工事がすすんでいる(図7)。
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8. ポツダム広場のベンツ社ブロック完成現状
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9. 完成したベンツ社ブロックのアーケード内部
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敷地の大きいベンツ側は高さ8階から10階建ての多数の複合建造物が建てられ、 設計に6チームがかかわり日本の磯崎も入っている。 建物用途は、 事務所、 住宅、 ホテル、 劇場、 カジノ、 商店などである(図8)。
1998年10月「ダイムラー・シティー」が完成した。 商店街の入った「アーケード」がたくさんの訪問者をひきつけている。 「これが新しい形の都市のさかり場とはなさけない」といった痛烈な批評が後日の新聞にでていた(図9)。
ソニーセンターの用途は主にマルチメディアの場である。 ヤーンの設計により、 丸いつり天井の大きな建物が中心に構成されている。 完成は今年末あたりであろうか。
ソニーの工事の際、 文化財保護されている旧ホテルの豪華な建物一部を、 日本の「引き家」の技術で空中移動がおこなわれ話題になっていた。
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