ドイツのユニークな“まちづくり”
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住民投票で決める町づくり1

ウルムの景観闘争
ミュンスター広場とシティーハウス

事の起こり

改行マークウルムの大聖堂は世界で1番高い、 これがウルム市民の誇りである。

改行マーク南ドイツのウルム市は人口11.5万人、 町の中心にあるミュンスター広場にそびえる大聖堂の塔の高さは161mで、 教会の塔の高さでは世界一である。 その大聖堂をめぐって最近、 市民が二つに分かれてはげしく議論しあった景観闘争があった。

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1 ミュンスター広場の大聖堂と新しい超近代的なシティーハウス〈絵葉書〉
改行マーク事の起こりは、 シティーハウス建設の設計コンペ最優秀案が発表された事に始まる。 ウルムの大聖堂を真ん中にして、 中世の古い家並みが建ち並ぶミュンスター広場に、 市長達が選らんだシティーハウスは超近代的建築であった(写真1)。

改行マークミュンスター広場のシティーハウス設計案はウルム市が主催となり、 国際建築デザイン設計競技で案がつのられた。 そして最優秀に選ばれたのは、 ニューヨークのスター建築家リチャード・マイヤーの提案する、 円と直線でつくられた真っ白な幾何学的な躯体の超モダン建築であった。

改行マークこれを受け入れる受け入れないで市民の意見がまっ二つに分かれ、 ついに全ドイツが注目した住民投票が行なわれることになった。


ミュンスター広場のドラマ

町の美術史愛好家の出現

改行マークウルムのミュンスター広場をめぐる景観ドラマは、 今から120年以前にさかのぼる。

改行マーク当時、 郷土美術史愛好家がある日突然都市景観問題にめざめ、 「世界でもっとも高い塔をもつ誇り高いわが大聖堂が、 中世からとりのこされた建物とせまい路地で全貌がおおわれていることは、 あまりにも残念なことである」という意見を新聞に発表した。

改行マークそれが要職にあるお偉かたを動かすことになる。 大聖堂への視界を妨げるものとは、 13世紀のはじめに建てられ修道院で、 宗教改革以降は高等学校として使われていた。 それが1876年取り除かれることとなる。 それによって大聖堂の全貌が見られるような大きな広場が都心に出現した。 これがシティーハウス建設予定地になる問題のミュンスター広場である。

改行マークしかし広くなったミュンスター広場についてのウルム市行政側の考え方は、 不幸にもこれら美術史愛好家達の考えとは正反対であった。 役所はこの都心のミュンスター広場を、 まとまりのない荒廃地としてとらえ、 広場の整備について、 市とこれらの「一部住民」との間に、 その後100余年におよぶ対立がはじまることになる。

改行マークウルム市役所はミュンスター広場に建物を建てて景観を整備しようととする。 1892年の構想では音楽ホールと公衆トイレとベンチの設置が考えられた。 そして1906年に第1回の建築デザイン設計コンペが「ミュンスター広場の再復興」というテーマで行われるが、 これは徒労に終わっている。 その後も役所から新しい計画が出されると、 この「一部の市民たち」はたちどころに反対し、 建物のない広場を主張してきた。 市役所はその後、 戦災復興などにおわれ、 結局、 平屋根の観光案内所とトイレ、 そして大半は駐車場として、 その後30年間放置されることとなる。


超モダンな提案と住民投票

建築設計コンペ

改行マーク70年代に入って、 ウルム市はこのミュンスター広場の整備に本腰をいれて取り組むことを決心する。 1977年に建築設計コンペ、 1980年には更にもう1つの建築設計コンペを発表し、 広場の整備と建設案を公募する。 設計競技審査員会はそれぞれに1等賞を選出するが、 いずれの案も市長たちを心底から納得させることは出来なかった。

改行マーク役所の一部では、 この広場に建物を作ろうとすることは難しいから植樹で整備しよう、 といった逃げ案が出されたりもしたが、 これも同意が得られず、 このミュンスター広場の整備だけはどうしても手が付けられない。 時の市長ルードビックはそれでも建築設計コンペを固持し、 1986年度のコンペでは「歴史的建造物の保存地区に、 新しい建築建設の経験のある設計士」を招待する設計競技を提案し、 前回の2人の1等入選者を含めて10名の招待コンペが行われた。

改行マークそしてこの第6回目コンペ審査の結果、 地元ドイツの著名な設計士をさしおいて、 最優秀に選ばれたのは、 上述のアメリカの設計士リチャード・マイヤーである。


超モダンな1等入賞作品

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2 マイヤーのシティーハウス設計図〈絵葉書〉
改行マークマイヤーが提案したのは周辺の景観とはまったくかけはなれた超近代的なモダン建築であった。 設計コンペ審査員の批評は「これは歴史的環境の中でのすばらしい現代建築である。 巧みな建物配置によって、 中世の都市空間をふたびここに取り戻している。 新しいシティーハウスの丸い角で、 中央道路からの人々の視線は大聖堂に誘導され、 過去と現在の対話がうまれる。 建物のデザインはアイデアにあふれ周辺の景観によく対応している。 この案が実現されることを推薦する」と絶賛している(写真2)。

改行マークこの作品には市長をはじめ市の要職者達もおおいに気にいり、 またミュンスター広場の建設全般の拒否権を一手に握っているウルム大聖堂会長、 そして本来なら反対する立場にある州の文化財保護局長も賛成側についてこの案の推進援助を約束した。

改行マーク1986年11月、 コンペの結果が模型と図面それに審査の批評を添えて公開された。 これで関係者一同はミュンスター広場をめぐる長い期間の景観闘争もやっと終わると思われた。 事実、 市役所側では、 最悪の場合、 市民の反対を押し切ってもこの案を実現させると発表している。

改行マークウルム市は1等案の決定からわずか4ヶ月たらずで正式な設計依頼をおこない、 設計士マイヤーをよんで市民説明公聴会がおこなわれた。 これが市民の間に大反響をもたらすことになる。 公聴会のすぐ翌日すでに「古いウルム派」が市長に対し、 19,509名の反対者署名リストを提出し、 市民投票で裁決することを勝ち取る。 (州法によれば4週間以内に市内有権者数の10%、 ほぼ11,500、 の署名を集めれば市民投票が成立する)。

改行マーク反対派の理由は、 「感情的に受け入れられない異物」「ドームの視野がさえぎられる」「既存市街地の景観にそぐわない」「建設費も運営費も市の財政にあまりに負担のかかる」、 一口にいえば、 大聖堂が見えなくなる、 モダンすぎる、 高価すぎる、 である。


選挙の結果

改行マーク署名リスト提出の半年後、 ウルム市あげての市民投票が行なわれた。 そして投票結果は、 (反対19,826、 賛成17,247)反対派が絶対多数を獲得した。 しかし、 住民投票で議決をくつがえすには「全有権者の30%」が必要であり、 それには1,701票が足らず、 反対派のくつがえしは不成功に終わった。

改行マークこうして、 ウルム市都心の大聖堂前のシティーハウスとミュンスター広場の整備が、 マイヤーの設計によって実現されることになり100年来の景観闘争に終止符が打たれた。


建物用途

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3 シティーハウス平面図
改行マークウルム市が設計士に要請した建物用途は「インフォメーションとコミュニケーションとプレゼンテーションの場」である。 建てられたシティーハウスは地下1階、 地上4階建て、 大小2つの建物が向かいあったかたちをとっている。 大きな円形には1階にインフォメーション、 ここには市の案内や観光案内、 プレイガイドなどが入っている。 ホールは2階で300席、 展示室が2、 3、 4階に大小ふりわけられている。

改行マーク小さい建物はカフェー(1階)とレストラン(2階)である。 2つの建物は橋状の廊下でむすばれ、 下は広場の通行を可能にしている。

改行マーク建物にはガラスがふんだんに用いられ、 各部屋のたくみに設置された天井や窓の開口部から大聖堂がいろいろな角度から眺められる。 また内部には全館をつらぬく大きな吹き抜けが、 白一色の壁面とともに、 明るくゆったりとした雰囲気をかもしだしている。

改行マークマイヤーは、 まちなかにそびえる大聖堂とだだっぴろいミュンスター広場を、 このシティーハウスでうまくまとめている。 駅からくる商店街によせてシティーハウスが建ち、 左に中世町並みの狭い路地、 右は大聖堂と広いミュンスター広場を分けて、 景観にしまりをつけている。

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4 大聖堂前ミュンスター広場のデザインもマイヤーである。 広場の敷石は大聖堂の柱の間隔が模様になっている。
改行マークシティーハウスの建設と同時に、 これまで駐車場などとして放置されていたミュンスター広場の造形整備もマイヤーに委託された。 広場の敷石模様は大聖堂の床面のモジュールがもちいられ、 また広場周辺部は並木によって広場と商店街が区切られている(写真4)。

 シティーハウスの完成1993年11月
 ミュンスター広場の整備1994年5月
 建設総工費は施設共30ミリオン マルク(約20億円)

 広場の敷石その他の整備費用3ミリオン マルク(約2億円)


その後の市民の評価

竣工1年後の調査

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5 駅につながる商店街から見たシティーハウスと大聖堂
改行マーク市民投票では反対者のほうが多かったシティーハウスがこうして竣工した(写真5)。

改行マーク最初の年には20万人の訪問客があった。 それぞれの会場は100%以上の利用率があり、 会場利用は、 全276行事の3分の1は文化行事であった。 会館時間は9時から夜11時まで。

改行マークその後この建物は市民にどのように受けとめられているか、 が大変興味あるところである。

改行マークこれについて同市のロラー氏(M. Roller)が、 シティーハウス竣工のほぼ1年後、 ミュンスター広場の整備も終わった時点、 1994年10月、 市民へのアンケート調査を行なっている(注)。

改行マークインタビューした人数は42人、 これで市民全体の意見をおしはかることは出来ないが、 まあ、 雰囲気はつかめるであろう。


アンケート結果

改行マークインタビュー質問1「賛否どちらに投票しましたか」の態度は半々(賛成19、 反対19、 中立4)で、 実際の投票とほぼ一致している。

改行マーク本題「出来上がった現在どう思いますか」では、 シティーハウスについて、 「無条件に良い」のが42%、 それに「但し書き付きで良い」の14%を加えると56%、 すなはち半数強が「新しいシティーハウスはこの町の風景に適合している」と答えている。

きれい/周辺にマッチしている42%
周辺にマッチしている/批判つき14%
きれい/マッチしてない14%
醜悪/マッチしてない19%
意見保留11%
 ミュンスター広場の整備、 についての評価はさらに良く、 「以前の方がよかった」「わからない」それぞれ9%を除く、 82%が「良くなった」と評価している。

きれい/良くなった58%
良くなった/しかしよくない24%
悪い/以前のほうがいい9%
意見保留9%

シティーハウスへの感想

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6 シティーハウスと大聖堂〈絵葉書〉
改行マークインタビューで得られた市民の意見には次のようなものがあったという。

〈良い〉

〈悪い〉
改行マークこの調査での感想は「反対派の一部は、 実際にできあがった建物に納得させられた様子であり、 反面、 当時の賛成派が強い口調で批判するのもみられた。 しかし総体的には、 このシティーハウスへの感情は肯定的で、 反対派の多くも妥協、 慣れとして受け止めているようである」と結んでいる。

(注/Mirjam Roller:Diskussion und Akzeptanz der Neugestaltung des Ulmer Muensterplatzes, Ulm 1990)

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