さて次のドイツの“まちづくり”の例はフランクフルトである。
ここでは「イメージ改良の“まちづくり”」をテーマとして、 この町を見る事にしよう。
2 イメージ改良のまちづくり
フランクフルト
図1 高層ビルのあるフランクフルトのスカイライン |
人口は65万、 ドイツで5番目に大きい都市である。 。
フランクフルトはドイツの都市にはあまり見られない高層ビルのある町である。
フランクフルトのイメージ改良の“まちづくり”では、 1970から90年代にかけてフランクフルト市の文化局長をつとめ、 短い間に町のイメージを一変させたヒルマー・ホフマンという人を紹介する。
戦後、 フランクフルト市の評判はあまりかんばしいものではなかった。
フランクフルトは、 ドイツ銀行とヨーロッパ銀行という超一流の金融機関の所在地であり、 いわゆる金融の町としての名声は自他共に認められてはいたが、 その反面、 「金儲けのみの町、 バンクフルト」あるいは「フランクではなくクランク(病気の)フルト」などと他の市民から蔑まれていた。 文化のない町であった。
フランクフルト市の社会党は1970年、 当時ミュンヘンの文化局長をしていたホフマンをここに呼んできた。 (文化局長は行政職ではなく政治職)
フランクフルトの文化局長に就任したホフマンがまず第1番に行なったことは「都市において、 文化は経済のためにも必要である」ことを市の議員達に認めさせることであった。 都市の文化を高めることに経済効果を表にたてた。 文化イコール贅沢、 浪費という概念を持つ政治家の頭を切り替えることがまず必要であった。
「文化によって住環境、 余暇環境が改善される。 良い人材は良い環境に集まる。 良い人材は会社発展、 経済発展に不可欠である」という。
こうして市長を説得することに成功したホフマンは、 文化施設の強化に乗り出す事になる。 この活躍を数字でみてみると、 彼がフランクフルトに就任した当時、 当市の文化にたいする財政支出の割合は年間5%であった、 それが20年後に11.5%までに引き上げられている、 毎年0.5%ずつ増加してきたわけである。
それによってフランクフルトは「文化のための財政支出」では統計上ドイツ第1位となった。
ここで余談であるがホフマン氏をインタビューした折ドイツの都市の文化競争について話された事がある:「私(ホフマン)の目的はフランクフルトをドイツでの文化の首都にすることであったが、 その途中東西統一という変動があって、 現在はベルリンが文化の首都といえるであろう。 今、 都市の文化競争としてドイツの中で7つの都市ががんばっている。 ベルリン、 ハンブルク、 ミュンヘン、 ケルン、 フランクフルト、 シュツッツガルト、 ライプチッヒである。 そこで、 この中でどこがベルリンの競争相手かといえば、 まずミュンヘンであろう。 ベルリンの現在の多くの劇場、 美術館/博物館はこのミュンヘンとの競争意識によって作られたものである」。
フランクフルトでホフマン文化局長の行なった重要な作業に博物館建設がある。
図2 マイン河沿いの美術館/博物館(地図出典:Stadt Frankfurt a.M.) |
ここは緑の多い非常に環境の良いかつての高級住宅街であり、 この一帯の建物すべてが文化財として指定されていて、 建物の外形変化は許されず、 また新築はげんざいの空地のみが可能である。
図3 ドイツ映画博物館(手前)と隣接するドイツ建築博物館 |
それではそれらの建物を少し詳しく見てみよう。
図4 外装はそのままで内部がすっかり改造されたドイツ建築博物館 |
美術館建設は単なる美術品の入れ物とか容器でなく、 建物そのものに美的価値のあるものであること、 という理念からフランクフルトの美術館/博物館建設では国際デザインコンペが行われ、 また世界的なスター建築家を指名して超一流の建物を作っている。
図5 デラックスな工芸美術館 |
ここには公園のように大きな庭があり緑に面したレストランは格好の憩いの場所として市民から親しまれている。 1985年竣工。
図6 ドイツ郵便博物館 |
シュテーデル美術学校
シュテーデル美術学校(地図の7)の美術館増築は寡作で知られるオーストリアのパイヒルの設計である、 玄関ホールがいい、 1991年。
図7 「博物館通り」から対岸、 都心のレーマー広場方向を見る |
こういった美術館、 博物館が都心の小さな範囲だけに14館集まっている。 フランクフルトの博物館はパリのセントロ・ポンピードゥーのような1つの大型モニュメントの建造物ではなく、 小型でひとつひとつが個性ある特別な建物の集積である。
図8 マイン河岸の博物館通り |
このホフマンの行なった美術館/博物館建設の根拠は、 彼の突然の思い付きではなくフランクフルトの歴史に基づいたものである。 戦前フランクフルトには22の美術館/博物館があった。 これが戦災で多くを失い「文化のない町」をかこっていたのである。
現在、 ドイツでは「都市における住民のアイデンティティーの欠如」が問題になっている。 人々は町に対する愛着をなくし、 住んでいる場所への心のよりどころを失っている。 それに対しこのような町の立派な文化施設は心を豊かにし、 また、 それがあることは誇りにつながるものである。 これが市民の町に対する心のつながり、 アイデンティティーにつながっていくであろう。 文化サイドからの“まちづくり”でもある。
このマイン河沿岸の博物館通りでは毎週土曜に名物のノミの市が開かれるので、 次回のフランクフルト訪問には覚えておかれるといいであろう。 それにもう1つ、 ドイツでも美術館、 博物館は月曜日が休館日である。
なお、 ヒルマー ホフマン氏はいまドイツゲーテ財団の会長である。